武士道とは死ぬこととみつけたり
私がへアヘット専門サロンで働いてた去年の夏頃のメモ
▶︎ブレインがショートしてるから予約表に多少待っても平気なお客さんのとこに(待)って書くはずが(侍)って書いちゃって同僚くんに「マゲとかやってない」って言われちゃった。
社長には「急ぎでエッチなお茶買ってきて」とセクハラ無茶振りされて
「生茶」を買ってきたら「やっぱ生だよなぁ…」としみじみ喜んでいた。
何が「やっぱり生」なのかは大きいお友達ならお気付きかな。
▶︎もう何を楽しみに生きていけばいいのかわからない。首吊るロープ買うために働いてるわけじゃない
▶︎店長、江戸川の魚のエサになればいいのに
このように楽しげに働いていたメモが他にもあったんだけど公開出来そうなのこれくらいだった。後は楽しすぎて、とても公開出来るの内容ではなかった。
わたしののうみそ
年明けてからというもの毎日が慶福の連続ですっかり脳みそが平和ボケしてしまって思考が停止している。
前頭葉が腐敗し鼻腔を伝い腐敗臭を感じるほど私の脳みそは現在、機能していない。
この慶福の連続を書き記す語彙もなければ表現の術を持っていない。
しかしこれが不幸となると私の脳みそは駆け馬に鞭、追い風に帆を立てるが如く思考や言葉を昇華し始めるのだ。
なんとも恵まれない体質である。
手のひらを太陽にかざすよりも月明かりでリストカットしているほうが向いているようだ。
まあ毎日が楽しいのは文句の付け所がないくらい素晴らしいことなんですけどね
戦争で科学や医学が発展するように、私の脳みそも犠牲なくして発展はしないのだ。